
ミヒャエル・シントヘルム(左)とクリストフ・シャウプ(右)
―この作品はどのように始まったのですか?
私は数年間、ヘルツォーク&ド・ムーロンを追いかけていて、少し前にこの作品を撮る許可をお願いしましたが、その時すでに他の作品からの打診もあると言われました。
結局その人物がミヒャエルでした。
彼は既に、中国での撮影のためにある程度の調査とコンセプトワークを済ませていたのです。スイスのテレビ局SFが興味を示して制作会社としてT&C Film を確保し、私への協力を約束してくれました。この企画の複雑さとその領域を考えると、その協力は不可欠でした。またミヒャエル・シントヘルムと私自身の異なる経歴が、良い方向に働いたのです。
―あなたは既に建築や建築家についての作品をいくつか制作しています。本作が、他の作品と異なる点もしくは新しい点とは何ですか?
この作品は建築物だけではなく、現代社会の都市状況を描いたものです。
その状況とは言い換えれば、建築物から展開される社会状況のことで、厳密には建築だけではありませんが、我々の興味を大いにかき立てるのです。スイスの建築家がオリンピック、そして中国地方都市の何万人もの住民のために都市全域のプロジェクトを築くことを望む、あるいはそれが認められる様は刺激的です
―中国側からの規制は沢山あったのですか?
もちろんオリンピックスタジアムは中国人にとって非常に重要なものです。そして国際的にも大きな関心を寄せられています。建設現場では、実にたくさんのチェックがありました。撮影許可を取るのは時を追うごとに難しくなりました。
しかし次第に、入り口の守衛の裏をかく方法と手段を見つけたのです。我々は常に、中国人男性を二人連れて行きました。我々の“耐官僚”係であるプロダクションマネージャー、イン・リーそして外務省の若い男性です。どちらも禁止事項に対処する手腕にとても長けていて助かりました。中国では、最初の返答は決まって「No」なのです。そこで交渉が必要となりますが、結果はしばしば前向きに転ずるのです。
―あなたは広く旅行していてアジアをよくご存知ですね。今日の中国の魅力とはなんですか?
中国は刺激的です。世界で最古の文化を持ち、西洋人からみて政治は謎につつまれており、経済的には世界列強に台頭してきています。2008年は、オリンピックのおかげで中国の年になるでしょう。
我々の社会概念は普遍的ではないという事、ほとんど気づかず理解もしてこなかった競争に慣れていかなければならないという事を、これほどまでに明確にした国はないでしょう。私にとって、理解したいという欲求は、何かに興味を持つ上で基本的な動機の一つとして続いているのです。
―この作品は何年にも渡って制作されていますね。その間、現代中国ではどんな変化があったと気づきましたか?
北京では、おそらく地方でもそうですが、ますます国際的になってきています。4年前は、中国人が中国語以外の言語を話すところを、ホテルでさえほとんど見る事はありませんでした。
(鼻の高い)外国人は、日常の風景の一部になってきていますし、人だかりができる事はもはやありません。共産党員の権力は好戦的ではなくなりました。それが続くのかどうかは分かりませんが、残るものはあるでしょう。
多くの人々は、オリンピックで事故がおきるのではないかと自問しています。
この大会は1972年のミュンヘンや、1980年のモスクワと同じくらい政治的です。
表面的には、中国はますます華やかで生き生きとして見えます。西洋文化の国際性で満たされた風呂桶のようなものです。これは全く馬鹿げています。
いい例として、上海はその古い街の大部分が破壊され、新しい建築工事の熱狂のための犠牲になっています。5000年の文化を後にして、中国人は自ら文化破壊を行っているのだと時折感じるほどです。
しかしそれは成功しないと思うのです・・・。




