
| コンペ | 2003年 |
|---|---|
| 基本計画 | 2003年 |
| 設計開発期間 | 2003年-2004年 |
| 施工図 | 2005年 |
| 施工期間 | 2003年-2007年 |
| 建築データ | |
|---|---|
| 敷地面積 | 20.29ha |
| 占有面積 | 約120,000㎡ |
| スタジアム面積 | 69,729平方メートル |
| 建築寸法 | |
| 最全長(南北) | 320m |
| 最全幅(東西) | 297.3m |
| 最高高さ | 69m |
| 延べ床面積 | 258,000㎡ |
| 階数 | 地上6階、地下2.5階 |
| 座席定員 | オリンピック開催期間中 91,000座席(臨時) オリンピック開催後80,000座席(常設) |
| 2002年 | 11月20日 | 資格要請 |
|---|---|---|
| 12月19日 | コンペ開始 | |
| 2003年 | 3月18日 | コンペ提出 |
| 3月26日 | 国際審査員団により3計画に絞られる | |
| 4月 | 最終発表 | |
| 2003年 | 4月 | 基本計画開始 |
| 11月 | 設計業務契約締結 | |
| 11月 | 基本計画案提出 | |
| 11月 | 基本設計開始 | |
| 12月24日 | 起工式/建設開始 | |
| 2004年 | 3月 | 基本設計案提出 |
| 8月-11月 | 開閉式屋根を削除し解放部を拡大 座席数を91,000席に縮小 | |
| 11月 | 基本設計改訂版提出 | |
| 2005年 | 12月 | コンクリート構造完成 |
| 2006年 | 11月 | 鉄筋構造完成 |
| 2007年 | 12月 | 竣工 |
| 2008年 | 8月8日 | 北京オリンピック/開会式 |
国家体育場は、オリンピック施設群の中心にあり、北京の北側に向かう緩やかな勾配の上に位置する。その位置は依頼者側の計画によって既に定められていた。その他の都市建設計画の決定は、我々のコンペ企画によって発案され、続く建設事業によって実施される。
一貫して最も重要な基本方針は、2008年の大会の後も機能し続ける建築物を創り出すことである。言い換えれば、北京のこの地区が魅力ある社会生活を生み出すような、新しい形の都市空間を形成することである。意味深くも、プロジェクトの非常に早い段階から、中国の人々は自らこのスタジアムに「鳥巣」というあだ名をつけた。
つまり図面に線が引かれる前に、心底自分たちのものとして同化させていったのである。
スタジアムを遠くから見ると、巨大な集合体のような形に見える。
波打つ外縁が起伏ある傾斜と調和する、スタジアムの観客のための巨大船のようである。
遠方から見た全体像からは、建物の曲線的な形状だけではなく、その大容量建造物を包み込むと同時に貫通している格子をはっきりと認識することができる。そうした幾何学的で明快な輪郭や一面に配列された理性的なラインは、近づくにつれて消え失せ、分離した巨大な部位に分かれていく。それぞれの部位はまるで、台座・梁・階段による無秩序に入り組んだ薮、または人工林のように見える。
ピラネージ空間には、レストラン・バー・ホテル・店舗、乗降場や入り口へと水平・対角・垂直に伸びる十字の通路に、人々が集う。この空間はスタジアム内部を埋め尽くしているのだが、外観・構造・装飾そして公共空間全てがひとつに納まっている。それは、外界の都市とスタジアム内部を繋ぐ接続路であり、同時に自立した都市空間である。ここに、このプロジェクトの真の可能性がある。
誰もが認める唯一無二の祭典であるオリンピックのスポーツ競技場以上の目的がある。
内部と外部をつなぐこの競技場は、新しい形の都市公共空間を創造する機会を与える。むしろそれ以上に、北京住民が社会生活を愛し、公共空間を豊かに利用する事を考慮している。もちろん内部は、スポーツや試合、後にはロック・コンサートや他の活動の利用で占められるだろう。
同時に、この台座の上の新しい公共広場では、足を止めてくつろぐ人々を招き入れる。このプロジェクトの本当に新しい特徴は、内部と外部を繋ぐ移行空間であることは明らかである。動き回れるように人々を鼓舞し、一行が共に楽しめるようになる空間である。




